赤坂の小さな増築小屋
赤坂の小さな増築小屋
敷地は愛知県豊川市、東海道と旧東海道に挟まれた場所に位置する約1,350m2の土地。
東海道五十三次の36番目の宿場町であった「赤坂宿」の地域で、現在旅籠はすべて廃業している。
当時は活気があり、歌川広重も「赤坂」を描いたが、JR鉄道から外れたことが衰退の原因だといわれている。
敷地の背後には標高361mの宮路山など300m級の山々が控える。
都市部で新築する時は、既存建物を解体してその上に新しく建てていくことを繰り返し、街の風景の移り変わりも激しい。
一方で、今回のような移り変わりの激しくない地域は、敷地にも時間にもゆとりがある環境も多いので、
使わなくなった古い建物を残したまま、新しい建物を建てることがある。
この不要と必要を同時に共存させる「余裕」が地方特有の環境ではないか。
江戸時代から住み継がれてきたこの敷地は、60年にわたって、母屋や庭、畑、取れた作物や家の備品を収納しておく蔵や農器具庫、
水路、貸し駐車場など、その時代の生活によって、大きな土地を新築・増築・減築しながら住み継がれてきた。
この計画が始まった2011年、家族は母屋で生活をしていて、隣には廃墟化した2階建ての家屋が建っていた。
今回は、子供も巣立った今、夫婦には広すぎる母屋を別荘や客室として残し、家屋があった場所に新たに小さな住まいをつくることになった。
この環境のもつ余裕を建築にももたせられないか考えた。
約8.2×7.3mのコンパクトな平屋に軒の深い方形屋根を架け4方に軒下という余白をつくった。
軒下は、畑を耕す夫婦の休憩場所となる。また、室内コアの上を天井を張らずに空けているのも余剰空間をもつためだ。
収納にもなるしスペースとして使うこともできる。
土地の広さにゆとりのある住まい方は、不要なものをすぐに解体しなくてもよいので、余剰空間を残しながら徐々に変化する。
この変遷の中では、今回の計画も敷地環境の「リノベーション」の一環だ。
さまざまな時代の構築物が累積していくことは、住まい手にとっての「豊かな生活」に違いない。